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2010.11.11

君の中に、君以上のものを ‐in you something more than you‐

I love you, but, because inexplicably I love in you something more than you—the objet petit a—-I mutilate you. 

「私は君を愛している。しかし、不可解なことに私が君の中に愛しているのは君以上のもの ― 対象「a」― なので、私は君を切り裂く」(J・ラカン)

こんばんは。楠見校スタッフBです。
いきなり好きな詩句で始めてみました。ラカンというのは、謎めいてしかも格好いい言葉をたくさん残していますから、多くの人が引用していますね。

上にある「対象a」というのは、なかなか捉えどころがない概念なのですが、「欲望の原因」とか「欲望を投影するスクリーン」みたいなものと考えてください。
ちなみに読み方は、“タイショウアー”です。
ネットで検索すると、アニメーションか何かで同じ題名の歌詞があるようですが・・・。

今回もラカンのセミネールの英訳からほんの少しだけ引用しましょうか。
欲望と快楽について述べられている箇所で、文法的にややこしいところは特にありません。

・・・Desire, more than any other point in the range of human possibility, meets its limit somewhere.
We shall come back to all this, but I would point out that I said desire, not pleasure. Pleasure limits the scope of human possibility—the pleasure principle is a principle of homeostasis. Desire, on the other hand, finds its boundary, its strict relation, its limit, and it is in the relation to this limit that it is sustained as such, crossing the threshold imposed by the pleasure principle.

「欲望は、あらゆるほかの人間的可能性以上にどこかで限界に出会うものです。
これらのことすべてについては、再度取り上げますが、ここで私は「快感」と言ったのではなく「欲望」と言ったということをはっきり指摘しておきましょう。快感は人間の可能性の範囲を限界づけるものです。つまり、快感原則はホメオスタシスの原理だということです。一方、欲望もその輪郭、その定められた関係、その限界を見出しますが、この限界との関係においてこそ、快感原則によって押しつけられた敷居を越えて、欲望として自らを保つのです。」

ここでラカンが触れている「欲望」というのは、「快感」とは異なるということです。
快感はフロイトのいう「快感原則」に従いまして、食欲、(即物的な)性欲などで、動物的で割と容易く満たされるものですね。

快感原則とは、簡単にいえば動物と同じように「快を感じられるような行動し、苦痛を避けるような行動をする」ということです。僕の身の回りは皆そうですね。
ただ、それによって、生命体としての恒常性(ホメオスタシス)は保たれてはいるのですが。

他方、「欲望」は、そのような自然と調和した快楽とは異なる、ぜんぜん違う次元のものであるのだ、とラカンは強調しているわけですね。快感原則の彼岸(向こう側)にあり、満たされることは決してありません。

しかしながら、ラカンはこの「欲望」にこそ人間の条件を見出しています。精神分析が欲望の科学と云われる所以もここにあるといってよいでしょう。

欲望についての説明は長くなるので、今日は割愛しますね。

(追記)
昨日書いた表現に不適切な箇所があった(笑)ので全面訂正しました。


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